テーマ:私の『ヒールフリー史』

写真追加

私の『ヒールフリー史』(9)と(10)に写真を追加しました。 (10)の方はまあ、シャレですが、(9)のドン・シェフチクさんの滑りの連続写真はいいですよ~。
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私の『ヒールフリー史』(14) ~BCクロカンに夢中

2006年のステップ細板購入以来、再び細板革靴の軽快路線に傾斜していった私ですが、2008年のゴールデンウイークに初めて立山に行ったのをきっかけに、細革での滑りをレベルアップしたいと思うようになります。 これまで書いてきたように、私はツアーは全て細板革靴で行ってきましたが、子どもが生まれてからは、ツアーに行けるのはゴールデンウイー…
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私の『ヒールフリー史』(13) ~細革再発見「ウロコ板で目からウロコ」

「革靴世代」の意地というか、プラスチックブーツの登場以降もかなりの間は革靴で粘っていた私ですが、98年(多分)にプラ靴を買ってから、ゲレンデではほぼプラ靴オンリーとなったのは既に書いたとおりです。 しかし、その後も、ツアーは全て細板革靴で行ってきました。 これは、別に意地ということではなく、私の志向するツアーに用いる道具としては…
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私の『ヒールフリー史』(12) ~太板プラ靴の到達点

90年代後半のプラスチックブーツの急速な普及に続いて、2000年代に猛烈な勢いで進んだのがスキーの太板化です。 前々回書いたように、98年には北田啓郎さんをして『終着駅』と言わしめたテレマークスキーの太板化ですが、その後もこの流れは止まることはなく、やがてそれまでのスキーに比べて極端に太くて短い「ファットスキー」が登場します。 …
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私の『ヒールフリー史』(11) ~「単独行者」への道

大学卒業から数年間の『半冬眠』時代を経て、95-96シーズンにテレマークを再開してからは、大学時代の山岳サークルの友人H君を誘ってツアーに行っていました。 このH君、私を見て自分もテレマークに転向してしまった変わり者で、大変気が合い、なんと互いの子ども2人の年齢も男女構成も全く一緒、という奇縁。 ということで、彼とのペアで行く山…
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私の『ヒールフリー史』(10) ~プラスチックブーツの登場

話は90年代後半まで進んできました。 この頃、テレマーク界には大きな変化が訪れます。そう、ブーツのプラスチック化です。 私自身がいつプラスチックブーツを買ったのかについては、正確な記録はありません。 断片的な記憶と「状況証拠」から探ってみます。 ウィキペディアによると、スカルパが最初のプラ靴『ターミネーター』を発売したの…
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私の『ヒールフリー史』(9) ~イメージの大転換

大学卒業から数年間、事情があって思うようにスキーができなかったのですが、95-96年のシーズンからまたスキーができるようになりました。 ちょうどその95年秋には結婚。 以前から、私はテレマーク、妻はアルペンで一緒にスキーに行ったことがありましたが、冗談半分で妻に「テレマークやってみる?」と聞いてみたところ、意外にも「やる」という…
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私の『ヒールフリー史』(8) ~純革靴時代

初めての自力ツアーまで快調に(?)綴ってきた「私の『ヒールフリー史』」ですが、ここで壁にぶち当たりました。 テレマークを始めた頃のことは、印象が強く記憶に残っており、時期もわかっているのですが、それ以降のこととなると、記憶は曖昧で、たとえ印象に残っている出来事でも、いつ頃のことだったのかはっきりしないのです。 ああ、こんなことなら「…
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私の『ヒールフリー史』(7) ~自力での初ツアー

1990年3月。いよいよ、自力での初ツアーを迎えます。 場所は、昨年TAJのツアーで行って多少なりとも勝手が分かっていた妙高・火打山。 サークルの年報に私が書いたツアー報告が載っていました。 これが当時の喜びを良く伝えているので、少々長文になりますが、そのダイジェストを転載することにします。 ~~~~~~~~~~~~~~~~…
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私の『ヒールフリー史』(6) ~テレマーク本格始動

大学2年次は、次のシーズンに自力でツアーに行くために、春から山岳サークルで登山技術を学んできたわけですが、いよいよ冬、1989-90のスキーシーズンを迎えて、テレマークに本格的に取り組み始めることになります。 まずはMyスキーの購入です。 用具の選び方については、唯一の活字情報源だった北田啓郎編「スキーツアー 入門とガイド」に加…
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私の『ヒールフリー史』(5) ~登山技術を学ぶ

TAJの火打山ツアーに参加した私は、これは最高に面白い遊びだと確信して、次のシーズンではテレマークを本格的に始めることを決意し、自分でツアーに行く力もつけたいと思いました。 自分でスキーツアーに行くためには、テレマークの上達はもちろんですが、何より安全確保のために、冬山登山の知識と技術を身に付けなければいけないと考えました。 幸…
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私の『ヒールフリー史』(4) ~初めてのオフピステ

1989年4月。初めてのテレマーク体験から2週間後、私は、TAJ(日本テレマークスキー協会)の主催する火打山ツアーに参加するため、再び妙高にやってきました。 高谷池ヒュッテに1泊して火打山を往復するツアー。 恥ずかしながら、当時は登山の経験もなく、完全に「ついて行く」だけの山行だったので、どういうルートだったのかはっきりしません…
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私の『ヒールフリー史』(3) ~初めてのテレマーク

3月一杯でイントラのアルバイトを終えた私は、「妙高バックカントリースキースクール」でテレマークのレッスンを受けるため、そのまま妙高赤倉に向かいました。 本当は午前のレッスンから受けるつもりで申し込んでいたのですが、逆方向の列車に乗ってしまうという失敗(恥)で大遅刻し、午後からレッスンを受けることになりました。 教えて下さったのは…
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私の『ヒールフリー史』(2) ~テレマーク情報を求めて

ゴム靴クロカンを体験して、私は、このかかとの上がるスキーの軽快さに強く惹かれました。 同時に、これでもっとうまく滑れればなお楽しいのに、と思いました。 このシーズン、私はインストラクターとして毎日スキー場で滑っていたわけですが、テレマークスキーには一度もお目にかかったことはありませんでした。 しかし、どこで仕入れたのかは忘れま…
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私の『ヒールフリー史』(1) ~ゴム靴クロカンの衝撃

これから、私がテレマークスキーと出会ってから、BCクロカンにはまっている現在までの「歴史」を振り返る連載(?)記事をアップしていきたいと思います。 こんなごく私的なことを公開のブログで書くのもどうかと思ったのですが、このブログの閲覧者数からすれば、まほろば倶楽部のツアーの夜に酒を囲んでだべるのと大差ないかと思い直し、そんな気分で書…
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